演劇にできることは何だろう
今日は時間ができたので、ちょいと気になってた場所に行ってきた。
実際に行って分かることがある。
街の雰囲気、周囲の雰囲気、建物の中の雰囲気。
行ってみてよかった。
ふと、「演劇」にできることは何だろう、と思う。
人と関わることのできる場。
人と関わらないと創ることができない場。
今、休演や中止の公演が多々出ている中、動画で見せようという流れもある。そうしかできない状況でもある。
けれど、動画はあくまで一方的で、観る側が感じていることを演者が感じることはできない。
観る側と演じる側とのやりとり、見えないやりとりがあるからこそ演劇であり、舞台芸術なのだと思う。
閉じられた空間で、非日常の世界に入りこみ、気持ちが動き、泣き、笑い、ホッとする。(閉じられた空間だからこそ、公演を中止にしたところもあると思う)
・・・それは映画でもできることだ。では、なぜ、演劇なのか。
演劇でなくてはいけないのか。
リアルさ、本物であること、目の前で起こること、美しさ、激しさ、空気感、静けさ、笑い、皆が一斉に笑う、皆んなが一斉に拍手する、その場にいる人たちと同じ時空を共にする、一度きりの時間。
それはやはり「演劇」だからできることなんだ。
実際に触れて感じることは、とても大切なことなんだ。
演劇が持っている要素でできることはたくさんある。知ってる。
けれど、それを伝える術が乏しいのだ。ん。
私自身が演劇の持つ力を伝えていかねば、その言葉を持たねば。
面白くて、難しくて、自分を知るもので、人との関わりを体験するもの。
人の心を育むもの。
空の景色
見ている景色をそのまま写真にできればいいのに、とよく思う。
時間に余裕をもって動くと、撮る時間が少しできる。
でも、なかなかそうもいかなかったり。
何しろ、未だガラケー持ちで、ツイッター等々はタブレットとPCゆえ。
空はいつまでもみていたい。
いつも見ていたい。
空を見る余裕がない時はあまりよろしくない。
ただ、そういう状態になっていることに気付いてなかったりする。
だから、やっぱり、立ち止まって空を見上げる。
朝玄関を出た時、職場に着いた時、夕食を買いに行く時、
帰宅した時、夜空を見上げる、薄く雲、月の光、星々、冷たい空気。
深呼吸して、気持ちを落ち着かせようと思う。
それができない時もある。
人って、
なんてめんどくさいのだろう。
だから、人なんだろうけど。
明日はいつもより早い出勤。
雨、あまり降らないといいな。
おやすみなさい。
ひさびさに夜に家でPC作業した日。
母と電話で話した日。
穏やかな
なんだか、静かで、穏やかな日、でした。
昨日今日と連休で、
今日は色々やるつもりがしっかりゆっくりしちゃいました。
今日は、久々に聴く音楽があって、
いつもこの時期は何とも言えない不安というか焦りというか、そう、何とも言えない気持ちになって。
春は苦手、で。
好きだけれど、どこにもいけないような、
いや、どこにもいられないような、ここにいるけれど、いないような。
でも、今はそうでもないかな。
ずいぶん、落ち着いたのだと思う。
過去は過去だけれども、捉え方で変わってくる。
どうしようもなかった自分も、ばかだった自分も、自分しか見えてなかった自分も。
よくぞまぁ、生きてきたもんだ。ん。
明日は健診。
からの連勤スタート。
ぼちぼちと忙しい季節。
ぼちぼちと息抜きつつ、生きてゆきましょう。