じーけこ日記

佐賀で舞台と演劇やってます。辻恵子です。ぼちぼち更新してます。

新月過ぎて

 

昨日はとってもとっても眠くて。

 

なんとなく調子がよくない時、新月だったり満月だったりする。

 

昨日もそうで。

 

さっさと寝ようと思ったけれど、少し自分の課題を見つめてみようとノートに書き出し。

 

それなりの答えを得。

今日は動けた感。

 

 

思考が滞るのは目的が無いから。

無いなら、明確にすればいいだけ。

やるべきことが多いなら、優先順位をつけるだけ。

 

 

そして、気付くことは、無意識のうちに他者のせいにしてるということ。

判断や決断を自分以外の何かに委ねてしまっているということ。

 

だから、自分が無くなる

だから、ちょっとしたことで思考停止する

 

自分で決めること

ちょっとしたことでも。

 

 

前に進もう。

上に登ろう。

そしてまた、広い視野を、広い土壌を持とう。

 

あきらめたら終わるだけ。

 

立ち止まったら、方向確認して、また歩き出せばいいだけ。

 

 

いいものを創りたい。

それだけ。

 

 

 

明日も生きる。

 

日々を楽しくするのは、自分自身。

 

ん。

 

あれから

 

急な休館から1週間。

正直、ピンときていない。

 

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一番忙しい筈の3月。

自分がプランする予定だった催物は全部なくなった。延期でもなく中止。

 

ぽかん。

 

目的がなくなるってのは、こんなにもやる気を削ぐのかと。

 

そんな中でもやれること、普段できないこと、ほったらかしだったことに手をつけ、

4月からの環境を良くしようとしてる。

 

やることがあるってことは幸せなんだな、と思ったりする。

 

 

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ぼんやりと、お昼休憩を過ごしたり。

 

9−17な仕事は夜に余裕があるんだなーとあらためて思ったり。

それでも、なかなか脚本は書き進まなかったり。

 

そういえば、アバンセが空いてて良かった。

 

3月も残り10日。

どれだけのことができるかな。

 

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つらい時は遠くを見よう。

空や山、窓の外、世界は広い。

頭の中の狭い思考を捨ててゆこう。

 

さ、明日も片付けだ。

今しかできないことをコツコツと。

 

演劇にできることは何だろう

 

今日は時間ができたので、ちょいと気になってた場所に行ってきた。

 

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実際に行って分かることがある。

街の雰囲気、周囲の雰囲気、建物の中の雰囲気。

行ってみてよかった。

 

 

ふと、「演劇」にできることは何だろう、と思う。

 

人と関わることのできる場。

人と関わらないと創ることができない場。

 

今、休演や中止の公演が多々出ている中、動画で見せようという流れもある。そうしかできない状況でもある。

 

けれど、動画はあくまで一方的で、観る側が感じていることを演者が感じることはできない。

 

観る側と演じる側とのやりとり、見えないやりとりがあるからこそ演劇であり、舞台芸術なのだと思う。

 

閉じられた空間で、非日常の世界に入りこみ、気持ちが動き、泣き、笑い、ホッとする。(閉じられた空間だからこそ、公演を中止にしたところもあると思う)

 

・・・それは映画でもできることだ。では、なぜ、演劇なのか。

 

演劇でなくてはいけないのか。

 

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リアルさ、本物であること、目の前で起こること、美しさ、激しさ、空気感、静けさ、笑い、皆が一斉に笑う、皆んなが一斉に拍手する、その場にいる人たちと同じ時空を共にする、一度きりの時間。

 

それはやはり「演劇」だからできることなんだ。

 

実際に触れて感じることは、とても大切なことなんだ。

 

 

演劇が持っている要素でできることはたくさんある。知ってる。

けれど、それを伝える術が乏しいのだ。ん。

 

私自身が演劇の持つ力を伝えていかねば、その言葉を持たねば。

 

面白くて、難しくて、自分を知るもので、人との関わりを体験するもの。

 

人の心を育むもの。